コミュ力を自分なりに定義してみる
自分のやりたいことと、会社から求められてることのギャップに苦しむ今日この頃。
今日は自分なりにコミュ力というものを考えてみたい。
というのも、私は、会社からの評価ではコミュ力が高いらしい。だから、技術営業へのキャリアチェンジを提案されたことがある。というか今日もされたんだが。
だがしかし。私は自分自身のことを陰キャだと認識してる。だから「りーこさんのコミュ力を生かして~…」とか上司に言われるとちゃんちゃらおかしい(死語?w)
はてさて、このギャップはなんなのか。それを私なりに考察してみたい。
ちなみに、私は今の会社でのファーストキャリアがサポートエンジニアだから、開発エンジニアに比べれば、確かに喋れるし空気も読める(と、自分では思っている)
だがしかし、営業メンバーのコミュ力には全くもって敵わない。商談同席やら導入支援やらの打ち合わせでは、冒頭の挨拶的なものは営業に丸投げしている。話題を振られるまでは絶対に自ら話し出さない。(そんな感じだから、WEB会議に自分が1番最初に参加して、かつ、営業より先にお客さんが来てしまったときのフリーズ具合は半端ないw)
一方で、障害調査やら機能説明やらの打ち合わせなら、冒頭から仕切れと言われても全く困らない。定型トークから始めて、そのまま本題一直線すればいいだけだから。
なんていうか、会話の掴みとか、アイスブレイクとか、雑談と呼ばれる領域の会話が苦手。場を和ませるとか、会話で肩の力を抜くとか、難易度高すぎる。
一方で、クレームっぽい問い合わせの消火には自信がある。メールとか電話とか表情がないコミュニケーションでも、相手の感情を察知して源泉探ってとりあえず毒を抜くっていう作業は正確だし速い方だと思っている。なんせ顧客対応そのもののクレームはもらったことがないから。
感情に重きをおいて日々を生きている私としては、コミュ力の分解も感情に重きを置いて考えてみたい。
このふたつのエピソードは、どちらも、コミュニケーションの発信元が自分にあるのか相手にあるのか、が違うと思っている。
コミュニケーションの発信を自分からするときというのは、相手が感情が表に出てないときが多くて、掴み所を探すという作業があるように思う。もっと言えば、相手の感情を自分ペースに引き込む力、とでもいうのかな。
感情がゼロないしはゼロに近いところから、プラスもしくはマイナス方向に動かす力なんじゃないか、と思っている。
一方で、コミュニケーションの発信が相手の場合は、だいたいの場合において相手の感情は見えている。掴み所が見えているから、あとは掴み方を間違えなければいいだけ。
マイナス感情であればゼロ方向に戻せばいいし、プラス感情であれば、感情をキープするか増幅させてしまえばいい。
ここまで考えると、別にどっちかが優位というものでもないんだろう。
もちろん、ビジネスシーンでは、0から1を生み出す力というのは物凄く優遇されているような気がするので、コミュニケーションにおいても、ゼロから発信できる力というのは評価されやすいし、失敗してもあまり評価を下げない気がする。
一方で、マイナスを0に戻したり、1を1のまま維持したり、という力は評価されにくい気がする。それどころか、失敗したときは、これまた見事に評価が下がる。私が得意と認識しているのはこっちなので、なんとも日の目を見ないことが多くて嘆きたくなるときもある。
だがしかし。守備なくして攻撃にはいけない。
かつて高校のバスケ部のコーチに言われたことで、物凄く印象に残っている言葉がある。
「調子が悪いときにシュートは入らない。でも、ディフェンスは練習を裏切らない。調子が悪いときこそディフェンスに徹しなさい。ディフェンスから自分のペースを作って、自分で良い調子を作りなさい」
(あ。思い出したら泣けてきたわ…)
私は攻撃は苦手。守備の方が得意。
マイナスをゼロに戻す作業は、実にイレギュラーが多くて楽しいのである。イレギュラー要素満載の案件を定型業務の枠に押し込んだときの達成感は、数千ピースのパズルを完成させたときのような感じ。すごい達成感を得ることが出来る。
ということで、脱線しまくってしまくって元の場所もわからなくなってしまったが、とりあえずの結論。
技術営業の話は断ろう。